上杉顕定 (扇谷上杉家) (Akisada UESUGI (Ogigayatsu Uesugi clan))
上杉 顕定(うえすぎ あきさだ、正平 (日本)6年/観応2年(1351年)-天授 (日本)6年/康暦2年(1380年))は、南北朝時代 (日本)の人物。
扇谷上杉氏の当主。
上杉朝定の養子。
実父は上杉藤成。
養子に上杉氏定。
別名定成。
伊予守、式部大夫。
養父朝定(京都上杉氏で父藤定の従兄弟)は丹波国守護だったが、貞治年間頃(1360年代)に顕定は関東に下向して鎌倉公方足利氏満に仕え、鎌倉扇谷の地に居住し、扇谷上杉氏の祖となった。
京都上杉氏は顕定の義弟上杉朝顕が継承して八条上杉氏と称した。
天授6年/康暦2年(1380年)に30歳で死去。